まさにキング冨岡。富岡剛がラグビーでもビジネスでも頂点を獲れた理由を考察。
神戸製鋼の全盛期メンバーとして日本一を経験。ラグビー選手として様々な記録を樹立し、現役を退いた後はネットビジネスに転身。2009年にディストリビューター収入ランキングで日本人最上位に。2016年のベストボディ・コンテストでは複数大会でグランプリ。富岡剛が分野の垣根を越えて活躍する理由を考察してみた。
ラグビーチーム・コベルコ神戸スティーラーズの全盛期メンバーとして日本一を経験。
入団1年目にしてチーム得点王などラグビー選手として様々な記録を樹立し、現役を退いた後はネットビジネスに転身。
そしてネットビジネスの世界では2009年にディストリビューター収入ランキングで日本人最上位に。
さらには2016年のベストボディ・コンテストでは複数大会でグランプリを受賞。
出展:Youtube
億万長者が「億」を稼ぐためにやってきたことを暴露します【キング冨岡の成金上等】
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富岡剛がキング冨岡として、ビジネスで成功してきた令和スターを招いて対談する番組『キング冨岡の成金上等』を大いに参考にさせてもらいました。
スポーツ・ビジネス…富岡剛がここまで分野の垣根を越えて活躍し、頂点を獲れる理由を勝手に考察してみます。
【富岡剛はラガーマンでありビジネスマンであり実業家】
富岡剛といえば、まさに全盛期のコベルコ神戸スティーラーズのウイングとして活躍した選手です。
ラグビー人気も最盛期であり、大学ラグビーでも国立競技場が埋まるような時であったわけですが、富岡剛は青山学院大学ラグビー部を経て、ラグビーの神様とも呼ばれた全日本キャプテン「平尾誠二」にすすめられ、コベルコ神戸スティーラーズに入団。
入団1年目からチーム得点王を獲得するなど、非凡な走力とキック力を見せつけていました。
記録としては、日本選手権出場4度目で史上最多となる74得点を記録(歴代1位)。
さらにV7を達成した1994年度シーズンには、プレースキック成功率でも歴代1位で史上最多となる12ゴール、1PGを記録。
プロキャリアを終えてからは母校である青山学院大学ラグビー部の監督に就任し、後進の指導を行う立場になります。
2001年まで監督を務めてからは、なんとネットワークビジネスの世界に進み第2のキャリアを歩み始めます。
2003年に栄養サプリなどの販売事業を行うシナジーワールドワイドの創業者ダン・ヒギンソンに出会い、シナジーワールドワイドのディストリビューター(配給者・卸売業者)として活動を始めたことがきっかけです。
早くも2005年と2006年には、世界一のディストリビューターの証であるディストリビューター・オブ・ザ・イヤーを獲得。
2009年にはディストリビューター収入ランキングで日本人最上位、世界9位タイになり、2025年現在で約1.7億を年収で稼いだ富岡剛は日本人のネットワークビジネス成功者歴代5位。
まさにスポーツでもビジネスでも頂点を獲得した稀有な存在として知られています。
【富岡剛の経歴~生立ち~】
富岡剛は1968年に東京都渋谷区渋谷という一等地で長男として誕生しました。
両親は浅草橋で袋物業の卸し問屋を営んでいたようで、幼稚園から大学まで学校は青山学院。
キリスト教系譜の小学校であったことから毎朝礼拝があり、記憶に残っている言葉は「マタイによる福音書」と語っています。
中学校1年生の冬まで野球をやっていましたが、中学1年の12月に大学ラグビー早明戦を観戦し、ラグビーに惹かれるようになり、中学1年の冬からラグビーをはじめることになります。
後に生涯の恩師と仰ぐ平尾誠二と青学時代に出会いますが、それまでは憧れの選手は当時会場で観戦した早稲田大学の選手だったとのこと。
【富岡剛の経歴~平尾誠二との出会い~】
青山学院大学ラグビー部に在籍していた時代、富岡剛のポジションはフルバック。
しかし当時日本代表キャプテンであり神戸製鋼の主将でもあった平尾誠二が青山学院大学の食堂に訪れ、ウイングとして神戸製鋼に入団しないかと富岡剛に声をかけたそうです。
富岡剛の走り方が綺麗であること、そしてピッチでの佇まいに風格があることを平尾誠二は富岡剛に伝えていました。
その平尾誠二の圧倒的なオーラと言葉の説得力から、既に神戸製鋼が使命する有力選手は他に決定しているようだったが、富岡剛は神戸製鋼入りを決断。
結果富岡剛は入団1年目にしてチーム得点王を獲得し、神戸製鋼の日本選手権連覇に大きく貢献することになりました。
【富岡剛がキングたる所以~自分に厳しい道を選択する心の強さ~】
富岡剛はキリスト教系譜の青山学院時代から、礼拝で毎日聖書を聞いていました。
そこで最も印象に残っているのが「マタイによる福音書」で、
『求めよ、そうすれば、与えられるであろう。捜せ、そうすれば、見いだすであろう。門をたたけ、そうすれば、あけてもらえるであろう。 すべて求める者は得、捜す者は見いだし、門をたたく者はあけてもらえるからである。』
『滅びに至る門は大きく、その道は広い。そして、そこからはいって行く者が多い』
『しかし、命に通じる門はなんと狭く、その道も細いことか。それを見いだす者は少ない』
といった教えと語っており、この聖書の言葉から大きな指標を感じ取ったといいます。
目標を持って、それに向かい努力をすること。
そして行動を起こすことによって求めていることが実際に起きる。
また楽をするものが多い中で、困難に立ち向かって努力することで成功がつかめるということ。
小学生ながらに聖書の「マタイによる福音書」を感じ取り、自分に厳しい道を選択する心の強さを持ち合わせていたのだと思います。
【富岡剛がキングたる所以~常に周囲を意識する気遣い~】
富岡剛はラグビー選手として、そして人生の先輩として、平尾誠二から多くのことを学び取ったと言います。
平尾誠二はミスター・ラグビーと呼ばれるほどのカリスマを備えた選手であり、日本代表キャプテンを務めた選手でもありました。
晩年は胆管細胞癌によって衰弱していましたが、富岡剛と面会する際はその様子を一切見せることなく、常にオーラを纏ったカッコいい存在であったと富岡剛は語っています。
この平尾誠二から学んだ理想のリーダー像が、憧れを持たせてくれるかっこよい存在であるとのこと。
実際にビジネスシーンで活躍するようになった現在、富岡剛はこれから活躍しそうなビジネスマンを、雰囲気で感じ取ることができるといいます。
姿勢・表情など、常に周囲に対して光を発していることが必要だとのことなんです。
これは独りよがりなカッコつけではなく、周囲に対しての気配りが伴っていないと、慕ってくれる人材はついてこないと思います。
【富岡剛がキングたる所以~情熱の火を絶やさない~】
富岡剛がスポーツでもビジネスでも成功を勝ち取った大きな所以は、何と言っても情熱を絶やさないことだと感じます。
高校時代の専門ポジションと異なるウイングとして神戸製鋼に入団してから、入団1年目でチーム得点王を獲得するなど、並大抵の努力では到達できない領域でしょう。
良家に生まれた富岡剛は一見温室育ちのように感じますが、実は親が事業に失敗し、青山学院大学3年生の頃に父親が夜逃げしたとのこと。
困難に直面しますが、ハングリー精神を持ち、努力を怠らない富岡剛は、情熱の火を絶やさない強さを持っています。
ラガーマンとしても実業家としても、目標を設定して情熱の火を絶やさないこの男から目が離せません!