この事件は866年、今から約1150年以上前のことです。
この事件の大きなポイントは、応天門という大事な門が火事になったことです。それに伴って、政治の世界で大きな動きがあったんです。伴善男という人が、源信(みなもとのまこと)という別の大事な人が火事を起こしたと告発しました。でも、最終的に源信は無罪になり、伴善男が有罪になってしまったんです。
で、どうなった?
この事件の結果、伴氏という昔からある名家が没落しました。一方で、藤原良房という人物が力をつけて、藤原氏の地位を高めることに成功しました。この事件は、藤原氏が他の家族を排除するための一つの出来事とされています。
事件の詳細は「伴大納言絵詞」という国宝に描かれています。この絵は、当時の出来事を色鮮やかに伝えているんです。
事件の経過
まず、伴善男が源信と仲が悪かったことから始まります。伴善男は源信を失脚させたかったんです。864年には、伴善男が源信を謀反の噂で告発しましたが、この時はうまくいきませんでした。
しかし、866年に応天門が火事になり、大騒ぎに。伴善男はこの火事を源信のせいだと告発しました。でも、藤原良房が源信を守り、源信は無罪になったんです。
その後、大宅鷹取という人が、伴善男と彼の子どもたちが火事の犯人だと訴えました。この訴えにより、伴善男と彼の家族に疑いがかけられ、彼らは有罪となり、遠くの地へ流されることになりました。
この事件の後、藤原良房はさらに力をつけて、天皇の摂政になりました。伴善男が藤原氏の力を弱めようとしたけれど、結果的には逆に藤原氏がもっと強くなったんです。この事件は、政治の世界での力の争いをよく表していますね。